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生と死(人は必ず死ぬもの)

   

            

「漢方ファンのページ」より

 死から眼をそらさないで!

 

医学の発達とともに人間の平均寿命は長くなっていますね。

特に日本人は、90歳、100歳という人が矍鑠(かくしゃく)として時々TVにも出てきます。うらやましいことですね。

でも、何の目的も希望もなく病気で寝たきり状態・毎日苦痛・不安に脅かされている人はの人は果たして幸せなのでしょうか?

少し考えさせられてしまいます。

 

今回は、漢方や医学の話とは全く違うことなのですが、大事なことなので少し書きます。

少しお堅い話・語調になりますが、お許しください。

 

 過日、なんと言う気もなしに、塩山の恵林寺へ行って来ました。

 山門の入り口にかの有名な禅僧快川の名句「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」が掲げてあったのを見て思い出したことですが、昔カトリック教会にいたときの知り合いのイタリアの神父に聞いたところ、ヨーロッパのある種の墓地の入り口には「ホディエ・ミキ・クラス・ティビ」(HODIE MIKI CRAS TIBI=今日は我の番なれど明日は汝の番なり)という、ラテン語の格言が刻み込まれていると言うことです。 

たぶん旧約聖書あたりからとった言葉と想われますが、それはともかく、この格言はいかも死者の立場から我々生者の運命を宣告しているようで、いわゆる人間の限界状況みたいなものが思い出され一読ケチのつけようのない厳粛な"実存"を自覚させられるのです。

ドイツの哲学者ヤスパースは、人間存在のギリギリの限界状況、(極限状況)と呼び、その典型的な一つとして死を挙げ、人間には死が何であるか見通すことができず、死を経験することもできず、また死から逃げることも出来ないことを、理由としている。確かに我々は、こういった意味で、限界状況の下に生きていることは間違いないのです。

そこで我々は、この限界状況の下におかれた自已を深く自覚したとき、当然そこに絶望を感じ、その実存を超えて神のごとき超絶的なものに救いを求めたい気持ちにもなるのだし、また実際そういった人々も世には多いのですが、また反面こういった限界状況におかれている怖ろしい自已を思うとゾッとするだけに、あえてそれについては考えまいとしている人々もまた多いのでしょう。
 

 

が、しかし、それを考えるとゾッとするからといってソッポを向いてしまったのでは駄目であり、どんなに嫌なことであるにしてもそれはともかく現実なのだから、やはり勇敢に真正面からそれと対決してこそ、より真剣に、よりよき生き方もできるのだと思います。

またそうしてこそキェルケゴールのいわゆる単独者―つまり私なら私という具体的な人間は一人しかいないし、他の何者にも生きかえることができない存在としての自覚もでき、その自覚から、よりよき生き方をしたいという真摯な気持ちも湧いてくるのだと思います。

よりよき生き方それはもちろん〃ただ自分のみ〃という個人主義的な考え方では不足であって、それはどうして他人との関係、つまり協調的人間関係において捉えなければならないのだと思います。

とにかく、下手な理屈はぬきにして、我々はひとり残らず必ず死ぬのです。死んで土葬にされるか火葬にされるかするのです。いまは温かくふくよかなお互いのこの肉体も数十年以内には間違いなく死んで冷たくなってしまい、もはや二度と在りし日の姿にもどることはないのです。

いくら死が嫌でも、それは何人も避けてとおることのできない厳粛な現実なのだ。いかにそれから眼をそらそうとしても、とうていそらしきれるものでなく、また眼をそらしていたのでは、いつまでたってもそれを超越することも、あるいはよりよき生き方をすることもできないのです。

 お釈迦様の境地には到底なれない我々凡人にできることといったら、安っぽい諦めか、気晴らし的テキトーな生き方以外の何ものでもないのかもしれないとも思います。
 

 とするとやはりそれを真正面から直視、対決し、そして自分の行き方を振り返り、1回きりのつかの間の生を大切にし、人々と仲良く暮らしながら自己の成長をはかり、かつ世の中をよくするために、力をあわせてやってゆく以外ないのではないか、とも思うのですが?

 

 しかし、お釈迦様のような悟りの境地に至った人でなくとも、人生に満足して大往生を遂げて亡くなっていった人もまた身の回りには多いですね。

心(気)の持ちようなのでしょうか?

 

 ここでお釈迦様の教えを書くつもりはありませんが、苦しもうが、何かに打ち込んでいる人、目標を持っている人は、少なくとも私の知人の中では例え若くて亡くなろうとも幸せを感じていたような人が意外と多かったような気がいたします。

 人生とは何か?ということを真面目に考えることも時に必要なことだと思います。

 

 健康で長生きというのは、ある意味、理想かもしれませんが、必ずしも長生きだけがその個人の幸福をもたらすものではないとも思います。

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